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「前払いクーポン割引サービス」で“おせち事件”はなぜ起こったのか

最初にお断りしておくが、本記事は今回起こった事件の当事者を非難もしくは弁護するものではない。本コラムで言いたいのは、サービスに適さない商材を扱うことによるリスクであり、それを指摘することでサービスを利用する消費者、商材を提供する店舗、サービスを提供する事業者が同じ間違いを繰り返さないことを願ってのことである。

「おせち」は前払いクーポンに向かない商材

2011年頭に「前払いクーポン割引サービス」が大きな失態を演じてしまった。以前に本連載で懸念したトラブルが残念ながら顕在化してしまったのである。インターネットの報道によると、半額で購入し自宅に送られてきたおせち料理が見本と違い、中には食用に適さないものもあったという。提供サービス事業者とレストランは全額返金などの対応を発表しているが、ツイッターや2ちゃんねるなどではおせち料理を提供したレストラン側を責める声が多く、レストランの代表が辞任する騒ぎに発展している。もちろん、主な責任は提供側にあるだろう。しかし、筆者の考えではおせち料理は「前払いクーポン割引サービス」に最も向いていない商材であったのだ。今後この様な失敗が繰り返されないよう、ここで商材の向き、不向きを論じてみたい。

この記事中では、誤解のないようにあえて「前払いクーポン割引サービス(略して前払いクーポン)」と記載する。「クーポン共同購入」と呼んでいること自体が誤解を与えている可能性が高いからである。「共同購入サービス」と「前払いクーポン割引サービス」には明確な違いがある。

まず「共同購入サービス」は、仕入れのスケールメリットを提供企業が顧客に還元することにより値引きが可能なサービスを指す。最低数量をクリアすれば必ず商品を送るため、仕入れや送料、梱包などの実費がかかることから割引率を引き上げることは難しい。また、提供企業のメリットは主に利益であり大きな値引きができない。それは「利益」=「売り上げ」-「原価(仕入れ)」-「送料」-「追加人件費」-「手数料(提供サービスや決済)」という構造になるからである。

一方で「前払いクーポン」は通常、設備型の来店サービスに適用される。そして企業側は追加投資なしで売り上げを増やすことができ、顧客獲得や知名度向上などのメリットも期待できるので大幅な割り引きが可能である。企業側の利益は「売り上げ」-「原価(仕入れ)」-「送料」-「追加人件費」-「手数料(提供サービスや決済)」に加えて、直接的なプラス要因として、+「クーポン未使用率」+「原材料棄損率の低下」、間接的な効果として「体験者・リピーターの獲得」がある。ちょっと長くなるがひとつづつ解説してゆこう。

  • 原価(仕入れ)

レストランなどでは原材料が消費されずに廃棄されるケースが少なくない。クーポンを発売した後には予約が必要なケースがほとんどなので、消費される量が予測でき、適切な仕入れが可能になる。場合によっては、廃棄ロスとなっていた分で新規仕入れをカバーすることもできるだろう。このメリットは意外と見逃せないものである。当然、まったく仕入れを必要としない映画やレジャーなど施設型サービスもある。

  • 送料・追加人件費

店舗来店型の前払いクーポンは電子クーポン(紙で印刷)にしておけば送る必要がない。そして商品を梱包・発送するための手間(追加人件費)は必要にならない。また、レストランなどでも通常のシフトでカバーできる程度の予約枠で運用すれば追加は必要ない。

  • クーポン未使用率

ここが決定的な違いになる。共同購入は申し込み時点で発送が確定するのだが、前払いクーポンはサービスを利用しない顧客がかなりの割合で存在するのである。

  • 体験者・リピーターの獲得

新商品やサービスの場合には体験者を増やすことが必要であり、そのためにマーケティングのコストを多くの企業が負担している。自前で独自の顧客を獲得するよりは、すでに多くの顧客を持っている基盤で展開するほうが効率が良い。したがって多くの会員を有している前払いクーポンサイトでの集客は効率が良いのである。そしてその一部がリピーターになることでさらに効率が良くなる。ただし、単なる通販の割り引きであればリピーターの獲得は難しいだろう、顧客は店舗との情緒的なつながりよりも価格で判断すると考えられるからである。(次ページに続く)

サービスの収支構造とリスクの正しい理解を

コスト構造の説明がちょっと難しいかもしれないが、すでに存在している類似サービスを考えるとわかりやすいだろう。航空会社の前売り券割り引きと映画の前売り鑑賞券である。両サービスとも季節により一定の座席売れ残りが予測されるので、その券を前もって安く販売するのである。航空券の場合には少ないだろうが、キャンセル・返金が不可能なものがほとんどで事情により放棄するケースもあるだろう。映画の前売り券は未使用率がかなりあるということである。そして、何よりも乗客が一人増えようが、映画の観客が一人増えようがかかるコストはほとんど変わらない。前払いクーポンの手数料率は往々にして高いのであるが、それは適した商材では上記のように大きなコスト負担をすることなく売り上げの増加が見込めるから負担可能なのである。

では例のおせち通販を考えてみよう。まず通常商品ではないので追加の仕入れは必ず発生する上に、商品の未消化は発生しない、提供時期は一括の上、通常商品ではないのでリピーターは期待できない。しかも、生もので返品が効かないということである。費用はほとんどが変動費であり、手数料が折半だと考えると、税抜き1万円のクーポンの店の収入は5000円である。送料や容器代、追加の人件費を考えると定価2万円とうたっているおせち料理のセットにかけられる原資は限りなく少なくなってゆく。また、同じタイミングですべての商品を発送できないと意味がないので梱包・発送作業が集中する。しかも、店舗にとって直接リピーターにつながる可能性が少ないと思われるこの商品は、どう考えても無理があるのではないだろうか? そして通常得られるメリットが少ない場合には仕入れを抑えるというインセンティブにより「モラルハザード(倫理の欠如。倫理観や道徳的節度がなくなり、社会的な責任を果たさないこと)」が発生する可能性が高いのである。

ただし、通販サービスの全てが前払いクーポンサービスに向いていないわけではない、固定費が比較的高く(変動費が比較的低い)、高付加価値なサービスには向いている。例えば、写真のプリントサービスなどである。写真の印画紙や薬品はある一定期間に使い切ることが必要なため、あるいは大量発注で通常商品のコストダウンが期待できる分むしろ効率化に貢献する可能性もある。そして、画像という形で個人情報を開示するサービスは価格だけはなく信頼性が重要なので、一度体験することによってリピートする可能性がより高まるといえるだろう。

市場が急拡大するときには様々な問題が起きるのであるが、大切なのは同じ過ちを繰り返さないことである。運営者側も利用する消費者側も「共同購入」と「前払クーポン割引サービス」をきちんと区別し、サービスのリスクをきちんと理解した上で参加することが必要であろう。また、筆者は規制は原則好きではないが、今後のサービス拡大を考えると、新設された消費者庁などで業界の健全な成長のため、最低限必要な規律と監視に関して討議される時期に来ているかもしれないと感じている。

《関連コラム》

【参考記事】クーポン共同購入、米社参入で市場活性化(2010年8月25日)

江端浩人「i(アイ)トレンド」バックナンバー

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