広範に及ぶ災害がもたらした「共通体験」と「自分化」
先週のコラム「震災後のネット利用拡大から見えてきた3つのトレンド」に多くの反響をいただいた。寄せられたコメントを見ると、特に「情報リテラシーの向上」という部分に関して説明が足りなかったように感じるので、今回はそれを中心に説明を追加したい。まず「なぜ向上したか?」という背景について、そして「それが今後何をもたらすか」ということについて、それぞれ筆者の仮説を立てながら考えたいと思っている。
最初はなぜ情報リテラシーが向上したかであるが、いくつかの異なる要素が絡みながら作用したのではないかと考えている。一見、相反するように見えるが、大きく分けると「共通体験を自分化したこと」と「情報の個別化、不確実性」の2つにあるのではないかと考えている。
まず、今回の震災では今までの自然災害と比べより多くの人が共通体験をしたのではないだろうか。震災の揺れは震度1以上で見ると九州にまでも達し、その後の津波も沖縄や日本海側をも含む日本全国に及んだ。そして、テレビでは全国で通常番組やCMが一切流れない日が数日間続き、その後徐々に正常化していったがほとんどACのコマーシャルばかり流れるという現象が生じた。首都圏においてはほぼすべての人が交通の不便そして計画停電の影響を体験したと思われる。
このような共通体験は日本全国で、同じ文脈で話す土壌を作ったと考えられる。そして国民全体を巻き込んだこの共有体験は今までの客観的なものとは違い、ある程度生存本能に訴えるものであったために、主観的に「自分化」出来たのであろう。例えば昨年開かれた、サッカーの「FIFAワールドカップ南アフリカ大会」の感動もある種の共有体験ではあったが、「自分化」できる出来事かというと、一般的には客観的な体験であろう。
しかし今回の震災は、全員が直接影響を受けたことで多かれ少なかれ「自分化」出来たのではなかろうか。さらに筆者はこの状況でソーシャル・ネットワークが存在したことが情報リテラシーの向上に大きく寄与したと考える。日本人はソーシャル上「傍観者(ROM:ロム= Read Only Member/半導体のRead Only Memoryが語源)」が多いといわれ、情報を発信することは少ないといわれる。しかし、今回は自分も当事者であるので、発言するきっかけになったケースが多いのではなかろうか?
今まで無力だと思っていた人が自ら情報を発信することにより、世の中に良い影響を与えたケースも多かったのではないだろうか。それは時には誤った情報につながったこともあったが、多くは善意に基づく役に立つ情報であろう。自らの考えをオープンに出す、あるいは人のそれを目にすることだけでも相当情報の活用度=リテラシーが上がっていると筆者は考える。
マスコミがカバーしきれない情報を「取りに行く」
次に「情報の個別化、不確実性」であるが、以下の震災前後のサイトアクセス数の変化を見て皆さんはどう思うであろうか。
Yahoo!天気は地震や余震の情報、津波の情報が中心である。これは一刻も早く自分の住んでいる地域の情報を入手することが重要であるので、マスコミの発表を待たずに情報を取りに行った結果であろう。東京電力は管内で計画停電を実施したことにより、自分の住んでいる地域あるいは通っている地域の情報を積極的に取りに行った結果である。JR東日本はじめ各電鉄も運行情報を取得する人たちのアクセスが殺到したためである。(次ページに続く)
つまり、必要としていたのは「個別の情報」であり、それを取得するために人々は通常利用していない情報ソースから必要な情報を取得することを覚えたといえるのではなかろうか。またそのツールとして携帯電話の販売数は大幅に伸び、ソーシャル・ネットワークによって情報の交換がより容易といわれているスマートフォンの販売比率が大幅に伸びてきたのであろう。
情報のニーズは個別の情報だけではない、マスコミで流れている情報だけでは充分ではないということが多く存在した。当初は被災地の情報や安否確認、電車の運行情報などである。筆者が独自にYahoo!の急上昇検索ランキングを調べたところ、震災前はほぼ芸能関係やテレビで紹介された内容であったが、震災後はその芸能情報が大幅に減り震災関連の情報であった。また特に3月21日に首都圏の浄水場の放射能検出の問題が出てからは、関連する情報を積極的に取りに行く、あるいは発信・交換する状況が見て取れた。このころになってくると充分な情報が提供されなければ、ユーザー自ら探しに行く体制が出来上がってきたと筆者は見ており、これはまさに情報リテラシーが向上してきた表れではないかと思っている。
個別ニーズ満たす情報提供が重要に
筆者の仮説がもし正しい(=生活者の情報リテラシーが向上した)のであれば、それはどのような変化をもたらすのであろう。まず前回のコラムでも書いたが、単純な訴求は今までのように簡単に受け入れられなくなる可能性がある。つまり、訴求するメッセージをサポートする事実、あるいは専門家によるエンドース(是認)が必要になってくるであろう。日本では比較広告が効きにくいと言われてきたが、それも変わってくるかもしれない。
もう一つは個別のニーズに合わせた情報の提供だろう。情報を取捨選択する能力が優れてくると自分に関係ない情報は排除するようになる。ソーシャル・ネットワークのような情報の渦が発達すればなおさらのことであるが、遭遇する情報量が飛躍的に増えてくると、自分と関係ないものは自然と淘汰されてしまうのである。そして、自ら必要な情報を取りに行くという姿勢をとらえるために、検索連動型広告などが再び脚光される可能性がある。少なくとも、それを前向きにチャンスととらえることができればこの国は再び大きく発展してゆくのではなかろうか。筆者の考えとしては、情報リテラシーの向上は、経済の国際化(や情報のネットワーク化)が進んでいる今、避けては通れない必要条件だからである。
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